タイ工業団地の今昔物語
一言で、タイの工業団地といっても全国で約100か所以上あります。
その中には、50年前からの古い団地から最新の団地まで千差万別です。
この工業団地の発展は、タイの経済成長を牽引(けんいん)した証しと言えるでしょう。
ここで、限られたスペースでビギナーのためにタイの工業団地を紹介することにしました。
2017.04.06 小林 豊
目次
1 タイ工業団地とアジアの中のタイ
日本の企業が東南アジアの企業進出の際は、タイのみならず他国の団地も当然比較検討することになる。
この検討内容での大きな要因は、インフラ、ロジスティックス、ロケーション、そして人材などで、その結果総合的に判断されるのである。
タイは、30~40年前の労働集約的生産は、卒業している。
自動車産業は、裾野産業なので、この産業が他国へ移ることは今の所考えられない。
なお、従来企業は一か国一品工場生産していたが、今では、一か国で大量生産し、近郊国、
または世界中に輸出する方法に変わった。
一か国内だけの生産は、競争に勝てないので進出はあり得ないと思ったほうが良い。今後は、東西回廊を通じて、東のミャンマー、
西のカンボジア・ベトナムへどの程度ロジテックスが発展するか、注目されている。
言うまでもなくタイ進出は、インフラ、製造物、いわゆるサプライチェーンなどの要因を企業の戦略も含めて総合的に判断される。
タイの工業団地を述べるときに特筆すべきこととして産業集積がある。
つまり、バンコクを中心として工業団地が存在するがそのことが産業集積になっている。
自動車メーカー産業を例にとると、すべてのメーカーがタイに進出しており、1次下請け会社は
メーカーの枠を超えてサプライ可能である。
例えば、サプライヤーはすべての自動車メーカーに短時間に効率よく営業活動が可能である。
そのことが、効率を高めメーカーの生産活動に好影響を与えている。
さらに現地資本による日系企業の集積により、日系企業の生産活動をサポートしており
世界的に例のないタイ独特の効果をもたらしている。
2 工業団地の選定条件
4日系企業は、すでに入居している企業名に関心を持つ。特に同業が既に入居の場合な ぜか気にする。
5 土地の購入代金について、好ロケーション、人気の団地は当然土地代が高い。これは需要と供給だから何ともしがたい。
3
タイ工業団地のロケーション
かつて、タイ全土を第1、第2、第3ゾーンに分けて、奨励恩典を分けた。
しかし、第3地区は、不便のため進出企業が少なかった。
政府は、全国に進出企業を分散させる方針を立てて行ったものの、結果は思わしくなかった。そこで、現在そのゾーンによる奨励制度を廃止して進出業種ごとにインセンティブを
与える方法に変更して現在に至っている。
4 タイの工業団地とインフラ
インフラとは、道路、電気、電話、給水、排水、などであるが、とくに問題なし。
5 タイ工業団地進出の規模、業種について
規模、業種は、千差万別である。
規模の分類
業種について、JCC部会(バンコク日本人商工会議所)による分類が分かりやすい。
6 タイ工業団地と人材
タイの工業団地を語る時、いつも話題になるテーマの一つとして、良い人材が不足しているという問題。
これは、学校教育に及ぶ基本、根本のことで、一朝一夕に解決できない問題なのである。
そこで、近郊国からワーカー輸入が認められて不足を補充しているのが現状。
特に、人材不足の職種は、通訳と合計である。もちろんエンジニアも。
人材紹介会社は、供給がなく、お客さんに謝っているのが現状である。
また、優秀な人材は都会志向のため、地方勤務を嫌い、そのため地方の工業団地は、スタッフの確保に苦労している。
7 タイ工業団地と日系企業の人気による一寸コメント
1965年頃、第1次日系企業進出、労働集約業種がメイン、繊維、自動車関係など。
1985年から 第2次進出ブーム、ナワナコン、ロージャナー、アマタなどに電気・電子関係が多い。
2011年 第3次 ハイテクやより高度化した産業が中心。
今後の予想として、メーカーは進出しない。
理由:人件費高くなり、労働力の量が少ない。付加価値の高い製品を作らないと立ち向かえない。
9. タイ工業団地と東部経済開発
現在、政府は、経済発展の一環としてEEC地区を奨励している。
EEC(Eastern Economic Corridor)
Corridor=回廊、通路、回廊地帯
現在、チャチャンサオ県、チョンブリー県、ラヨン県はEEC地区に指定されている。
理由は、タイ最大のレムチャバン港があり、産業立地に適切な地域であるため。
産業集積地域に指定して、産業の競争力を高めようとする目的。
10. タイ工業団地と洪水
2011年、大洪水から6年が過ぎた。
しかし、今でも「この団地は洪水は大丈夫か」と話題になる。
70年に1度という予想外の洪水で莫大な被害を受けた。
心配する人は、洪水保険に加入して、災難に備えるべきである。
11. (余録)エピローグ
1984年にタイへ住み始め、翌年からビジネスを開始した。
1986年から89年にかけ、第2次日系企業のタイ進出ブームとなった。
理由は、ご存知の通り、1985年ブラザー合意により、1ドルが240円から半分の120円になった。
そのため、日本でのモノ作りは、海外生産を余儀なくされた。
そこでタイが投資国として選定され、大量進出となったのである。
その時の雰囲気です。「猫も杓子も(猫も主婦も家族総出で)」競って、タイ進出してきたのを覚えている。
例えば、ナワナコーン工業団地は、最盛期のブームのため、今月購入予約しないと
毎月10%づつ価格が上昇する、と言われ、本社決議前に土地を手当てした、
という話がある。
このブームにより日本人駐在員も増大し、わが社も水を得た魚のごとく元気に活躍した。
しかし、このブームも1990年に入ると一段落し、作りすぎた工業団地に不況が訪れた。
こうして景気の波は好況、不況と繰り返し発生する。
終わりに、以上のとおり工業団地には、そしてお客さんに大変お世話になり、感謝の念を抱きつつ・・・。
ウエルグロー工業団地リスト
http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/country/thailand/invest/industrialestate/area12.html/#j2