西野順治郎氏の生前足跡1

これから西野氏の自叙伝に従って、生前の足跡を追ってみましょう。

同氏の西野家は「旧家」となっています。
辞書で調べたところ、「古くから続く由緒ある家系を持つ家、公家の家格の一つ」とあります。
いずれにせよ、古くから家系を持つ家格です。母キミさんは、大阪府立岸和田高等学校を卒業しています。
当時はクラス内で、数人しか進学できなかったようです。それには資財と優秀な成績が必要だったようです。
村から高等学校へ進学するすると言う事は、その地域で尊敬を受け、崇められたでしょう。母キミさんは西野さんが3歳の時に肺結核でなくなっています。
3歳の時、母の最期の言葉を自叙伝で書いています。
母キミさん「お母ちゃんが死んだら、おばあちゃんと一緒に墓参りに来てね」と。
この時西野さんは、うなずいたとのこと。
母キミさんの死後、祖母ヨシさんによって育てられた、と書かれています。
実の母でなく祖母によって育てられたことは、西野さんの性格に少なからず影響を与えたことでしょうが、この事は想像の域を出ない話なのでやめましょう。
また、父俊一郎のことも書かれています。
徴兵検査を受け入営し、旅順攻撃に参戦し、手柄を立て7級金鵄勲章を受けています。
任期満了とともに、村に戻り農業に従事した、と書かれています。
戦争の苦痛を子供たちにさせない、との気持ちから除隊した、と書かれています

そうそう、西野さんは姉と兄の3人兄弟とのことで、姉は7歳の時に肺結核で亡くなっています。
兄は、小学校の教師をしたと書かれています。

中学部4年の時、第高等学校文科丙類(現京都大学教養学部)を受験して合格しています。
しかし、二学期には退学させられてしまいます。理由は兄の持っていた社会主義に関する書物を読んだり、兄と共にエスペラント語講習会にも出ていたので、特攻警察から要注意人物としてマークされていたため、と書かれています。
具体的には軍事教練で些細なことでトラブルを起こし、それが原因で放校処分を受け、中学5年に再編入することになった、と書かれています。

後日談になりますが、ある時特攻警察から追われていたことについて質問したことがあります。
当時昭和の初め、世界恐慌が始まり日本の農村では貧しいため娘を遊郭に出していた時代であり、この様子を見て社会を変えなければ、と思ったとのこと。
西野さんの反権力への意志は生涯貫かれることになったのでしょう。(続く)