タイ国における中小企業診断・中小企業診
断士養成事業のスタート


(JICA)
東京支部 遠藤 英彰
1.背景
1997 年の通貨危機、経済危機でタイの経済は大きな打撃を受けたが、これを契機に、タイ経済を担う中小企業対策の重要性が国全体として強く認識され、より効果的、効率的に
中小企業振興策を展開することが急務とされるようになった。
1998 年以降、タイ政府は中小企業対策を含む産業構造調整計画(IRP)の制定と金融支援や中小企業振興法などに取り組み、これに対して日本政府は円借款や宮沢基金に代表さ
れる資金協力、制度面の技術協力をおこなった。

2.中小企業診断制度導入の決定
以前よりタイ工業省は日本の中小企業診断制度の成果に注目し、その制度導入を検討しており、1998 年 2 月には中小企業事業団(現中小企業基盤整備機構)によるタイ工業省産業振興局(DIP)を始めとする中小企業関係者を対象とした工業診断実習が実施されている。
さらに IRP には診断士養成を含む工業診断制度の導入が盛り込まれていたが、これを企業診断プロジェクトとして DIP 傘下の BSID(裾野産業開発部)主管で推進することが 1999年 3 月 23 日の診断制度推進委員会で決定され、この日から5年間(1999 年 3 月―2004 年3 月)にわたるタイの中小企業診断・中小企業診断士養成プロジェクトがスタートした。

3.中小企業診断・中小企業診断士養成事業のスタート
(1) スタート時の疑問点
中小企業診断・中小企業診断士養成事業スタート決定時、下記の疑問が出されていた。
① 予定された中級コース研修生(約 100 名)が確保できるか
② 日本から必要な数(10 名)の長期滞在専門家(中小企業診断士)の支援が受けられるか
③ 計画したとおりの企業診断(当面 160 件)ができる受診希望企業が確保できるか
④ 診断士養成研修事業が予定された 1999 年 6 月に開講できるか
3 月のプロジェクトスタート決定時に用意されていたのは講義をおこなう場所(泰日経済振興協会=TPA 付属の技術振興センター)と 5 名のスタッフ(タイ側 2 名、日本側 JICA派遣専門家 3 名)のみで、全体予算、講師、通訳、研修スケジュール、テキスト、教室諸設備、事務所スタッフ、診断先企業などを極めて短期間に手配・準備する必要があった。
幸いにして研修生は関係機関縁故のほか、公募により 300 名弱の応募者があり、テスト(問題は日本人専門家が作成)、面接をおこない、予定の 100 名の研修生を確保できた。
一方講師の確保では、タイ側の希望する最低6ヵ月滞在できる日本人講師(中小企業診断士)をスタート時 10 名確保する必要があったが、中小企業診断協会の協力により一部3
ヵ月毎の交替でやりくりすることで、何とか 10 名確保することができた(この段階ではJICA、JODC 派遣、TPA契約など派遣形態が3つあったが、後 JODC 派遣に1本化)。

座学研修はタイ人が講師を担当するという前提で選定したが、中小企業診断士養成という趣旨にそって講義をおこなってもらうために日本側とのすり合わせが必要であった。
企業診断は製造業対象に基本的には受講生の OJT と兼ねておこなわれたが、6月の開講前に日本人の中小企業診断士のみの手でスタートした。当初一部で心配された受診企業の
確保問題は、途中で受診企業の手持ちがなくなり、一時診断を中止するというハプニングがあったが、プロジェクトスタート1年目で172社の診断ができまず順調であった。
このほか研修スケジュールの設定、テキスト作成、講義にかかわる諸設備の準備、通訳の確保、事務所の設営などもやや突貫作業的であったが何とか無事間に合った。
本プロジェクト運営の予算については宮沢支援をバックにタイ政府が予算を組んだが、タイの国会で難航した。その原因の1つは、日本から招聘する中小企業診断士の一部(5
名)をタイ政府(=委託先 TPA)契約とすることになっていたが、その報酬額がタイの大学教授などと比較し、著しく高額であったことである。予算面の正式決定は遅れたが、ある
程度見切り発車をおこない、プロジェクトスタート決定後わずか 3 ヵ月後の 1999 年 6 月23 日に診断士養成研修の開講式を迎えることができた。
(2) スタート時の中小企業診断士養成研修
中小企業診断士養成コースの具体的研修内容と方式は5年間の間に変化していったがスタート時(1999 年 6 月-12 月)の内容を簡単に述べると下記のとおりである。

● 中級コース:これは全日制で、基本的には日本の中小企業大学校方式をベースに運営、
座学と診断を兼ねた OJT(診断実習)を併せておこなった。座学は原則としてタイ人講師が講義をおこない、診断を兼ねた OJT は日本人専門家が指導をおこなった。
ただスタート時の段階ではタイ人講師の手配が十分でなかったので、日本人専門家が座学にかなりタッチするケースが多かった。
また OJT は1グループ 10 名のメンバーを各5名の A、B 班に分けて、それぞれの班が座学と OJT を交互に受ける方式をとった。当該期間の養成研修事業で 99 名の修了者が出ている。

● 基礎コース:週末に座学のみを約3ヵ月間おこなうコースで、当該期間に2コース設けられ、245 名の修了者が出ている。
(3) スタート時の企業診断
1999 年 6 月―12 月の企業(製造業)診断の実施は 171 件であったが、OJT を兼ねた診断が
大部分で(162 件)で、一部診断を日本人専門家のみでおこなった。この段階での正式な
診断報告書は日本語で作成、これをタイ語に訳したものに工業省 DIP 局長のサインを得て
企業に交付する形をとった。また診断結果の内容説明も日本人専門家がおこなった(その後
診断報告書の作成、診断結果の説明はタイ人研修生等がタイ語でおこなうこととなった)。

4.プロジェクト成功の要因
本プロジェクトは当初、走りながら考えるというタイの特徴的な方式で推進され、障害、試行錯誤的な面も多々あったが、短期間に具体的な成果を出したため、当時タイで計画さ
れた 400 の IRP 関連プロジェクトの中で最も成功したプロジェクトの1つといわれた。
その要因として、①プロジェクトの目的と方向性が明確であった、②主管するタイ側カウンターパートが確固たる信念と沈着・冷静な判断によりプロジェクトを引っ張るととも
に、上司の工業省有力幹部の全面的なバックアップがあった、③日本側の特に専門家派遣における全面的支援、④プロジェクト関係者の努力と、難航する場面もあったが、タイ側
と日本人専門家との間の協力、意思疎通が全体的にはうまくいったことなどがあげられる。
出典:
https://www.j-smeca.jp/attach/kenkyu/honbu/H18/asia_houkoku.pdf